プロローグ


 穏やかなる東の海に浮かぶ大陸、シルヴェール。その小さな大地の半分は、古の時代より、深い森に覆われている。
 その中央、暗緑色の古樹の群れをかき分けてそびえ立つのは、シルヴェリア城であった。白く毅然としたその姿は、確かにこの大陸の中心としての気品をあらわしていた。
 反面、それはまるで、深い暗闇に今にも飲み込まれんとする白き小鳥のようでもあった。むろん、空を飛ぶすべをもたぬこの地の人々には、そのようなことは知る由もなかったが。

  *

「隊長! アルディ隊長!」
 早朝の練兵場に、若い騎士の声が響く。
 呼ばれているのは、前王国騎士団長アルフレッド・バーネスタの一人娘  アルディ。女でありながらも父の才を受け継ぎ、強い意志を持って騎士の道を選んだ。その実力を認められ、王女の親衛隊長に着任することが決まっている。
 まだ人気のない奥庭で、引き締まった長身は軽やかに動き、洗練され、かつ確かな力強さを持った槍さばきを見せていた。そして自分を呼ぶ騎士の姿をみとめ、ピタリとその動きを止めた。肩までの亜麻色の髪がふわりとゆれ、その下から鋭いまなざしが向けられる。
「何事だ」
 若い騎士は、姿勢を正して答えた。
「城下町にて曲者を捕らえたのですが、そやつが何故か隊長の名を呼んでおりまして」
  被害は?」
「いえ、けが人はありませんが、取り乱して民たちに詰め寄っていた上、武器を持っていたため、捕えました。牢に入れておりますが、何を問うても隊長の名しか申さぬと……いかがしましょう」
「わかった。行こう」
 アルディは慎重な面持ちで頷いた。

  *

 その頃、町では小さな人だかりができていた。  
「なになに? なにが起こったんだい?」
「あれは猿だったんじゃないのか」
「おいおい、お前、遠くからしか見えなかっただろ?
 女の子だったぜ。汚い格好だったけどな」
「いや、少年だろう。弓矢を背負って動物の皮を巻いていた」
「そうそう。なんかわめきたてて危ない感じだったから衛兵がひったてて行ったんだ」
「迷子の狩人かな? 王都に来ちまうなんて、うかつだな」
 輪を作って喋り合う男たちに、一人の老婆が近づいてきた。
「あれは……森の民じゃな」
「なんだい婆さん」
「ケフィラーの都の人間じゃよ」
 すると男たちは一斉に笑った。
「ケフィラーの都か!   伝承と現在をごっちゃにするとは、さすが婆さんだ!」
「あそこはあんたが赤ん坊の頃だって、もうとっくに自由領になってたろう!」
 ひとしきり笑うと男たちは散り、仕事に戻っていった。
 城下町の早朝は忙しい。のんびりと過ごせるのは、夜番明けの者たちか、人々に呆けたと思い込まれているこの老婆くらいであった。

  *

 冷たい石牢の中、少女は外套で覆った膝を抱えていた。外套も、籠手や長靴も、すべて動物の皮でできており、彼女自身の手で作った物であった。
 その腕の上に伏せられた小さな頭は、濃い茶色の巻き毛に包まれていた。額から後頭部にかけて木製の輪がはめられ、うなじの部分からゆるく編まれた髪が流れている。
そして、それをのせた小さな背は  小刻みに震えていた。彼女はじっと、戦っていたのだった。突如その身に舞い降りた、孤独と。
 そんな少女を挟んで、鉄格子の向こうには、二人の人間がいた。一人は牢番で、もう一人は女の騎士であった。
 女騎士は牢の中を覗き込んで、心配そうに言った。
「ね、泣いているみたいじゃない。怪我はないのかしら? ちょっとみてあげたいのだけど……」
「いえ、危険です。格子は開けぬほうがよろしいかと…」
「でも  あ、アルディ!」
 女騎士がつぶやいたその名を聞いて、牢番は姿勢を正し、牢の中の少女はさっと顔を上げた。そして足音を響かせ、長身の女騎士が格子の前に姿を現わした。
 その姿をみとめ、囚人は鉄格子に飛びついた。
「アルディ……ああ、アルディなんだね!」
 アルディは牢番が止めようとするのも構わず、鉄格子に近づいた。そして、涙にぬれた少女の顔を確かめると  目を見張った。
「……レフィル? レフィルなのか!?」
「そうだよ、あたしだよ、アルディ、アルディ、やっと会えた」
 少女は澄んだ茶色の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
 アルディは急いで、格子を開けさせた。開いた瞬間、少女は小動物のように飛び出し、アルディの腕の中に飛び込んだ。
「アルディ! じいちゃんが、じいちゃんが」
「レフィル」
 アルディは腕の中で泣き崩れる少女を、慈しむように見た。
 茶色の巻き毛は長くなり、小柄だが全体的にすらりと伸びた体も、少女が成長したことを示していた。そして、見上げてくる丸い瞳は、変わらずに澄み切っていたものの  深い悲しみと混乱に揺らいでいた。
 アルディはある種の直感を持って、その瞳に問うた。
「おじいさんが、どうしたの」
 すると瞬く瞳から、涙が一気に溢れ出した。
「じいちゃんが、死んだんだ」
 少女は震える唇で答えた。


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