第7話 血と怒号
男の剣は、石塁に打ちつけられて空しく震えていた。
レフィルはその上、石塁のわずかに出た部分に飛び上がって、太刀を逃れたのだった。たちまち、大きな歓声がレフィルのすぐ背後で起こった。
「いいぞ! 女!」
男は剣を足元に刺し、痺れた手を打ち合わせた。
「俺を馬鹿にすると……後悔するぜ」
男は再び剣を取った。血に飢えた目が、細められる。
男は跳んだ。同時にレフィルも跳んだ。地面へ跳び下りざまに、男の左肩に蹴りを入れる。男は再び、地面に尻を付いた。
再び客席から罵声が響く。
「 殺してやる、殺してやる!」
男は呟きながら、今度は敏捷に起き上がり、剣を繰り出した。レフィルはすんでのところで避け、後ろに跳んだ。だが太刀はすかさず迫ってくる。すぐに再び壁際へと追い詰められてしまった。
(まずい このままじゃ!)
切っ先が、レフィルの髪を掠めた。
編まれていた長い髪が、真ん中で切り落とされ、地面に落ちた。残った茶色の巻き毛が、背中にふわりと広がる。
次の刃が、容赦なくレフィルの腹を狙って繰り出された。
レフィルは跳んだ。だが間に合わず、左のわき腹に鋭い痛みが走った。
痛みに歪んだ少女の顔を見て、男は冷静さを取り戻した。
「安心しろ。すぐには殺さねぇからよ」
男は次に、レフィルの右肩を狙って、構えた。レフィルは凍りついたように動かなかった。素早く刃が伸びた。嬲るつもりなのか、切り口は浅かった。だが傷口からは赤い血が飛び、血の匂いに男たちは狂喜した。
「いいぞ!」
「殺せ!」
「殺せ! 殺せ!」
痛みよりも先に、レフィルの背筋に、鋭い悪寒が走った。
それは、かつて森で獣に追われた時や、嵐の中崖の縁を渡った時に感じたものとも違った。そういう恐怖というよりも 嫌悪、という方が近かった。
だが、男の目には、レフィルは怯えた獲物にしか映らなかった。傷ついた体を狙い、もう一度鋭く刃を繰り出す。
その時、レフィルの目が鋭く細められた。再び石塁に跳び上がる。そして恐ろしいほどの速さで、背の弓矢を取り、男に向けて放った。
男も、観客も、あまりの速さに何が起こったかわからないようだった。
「く……なんだ、これは」
男の太ももには、深々と矢が刺さってた。
男は震える手で矢を掴み、力任せに引き抜いた。傷口から、おびただしい量の血が溢れ出した。
観客たちは、さらに濃くなった血の匂いに叫んだ。
「いいぞ!女!」
「やるじゃねえか! いけ!」
「いけぇ! 殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
状況は一転した。歓声は少女へと向けられ、その下で、男はうずくまり、痛みに漏れる呻きを必死に押し殺している。
今なら、勝てる。男を殺せる。
突き動かされるように、レフィルは二本目の矢を手に取った。ゆっくりと弓につがえ、狙いを定める。
すると 、
手が震え出し、止まらなくなった。
「どうした! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ!」
「殺せ!」
今、この言葉は自分に向けられている。殺されそうなのは目の前の男だ。今このまま矢を放てば、自分にはもう、危険はなくなる 。
それなのにレフィルは、自分が追い詰められていた時よりも大きな、呑み込まれそうなほどの恐怖を感じた。
「殺せ!」
人々の叫び。
男の呻き声。
むせ返るような血の匂い。
(……じいちゃん。あたしは )
「あたしが……さなければ、テールが!」
レフィルは呟き、目を閉じて、両手に力をこめた。
しかし、その瞬間 両手から全ての力が抜け落ちた。
弓矢は石塁を転がって、地面に落ちた。
「
てめぇ」
手負いの男は、笑った。
レフィルは震えたまま、自分の肩を抱いてうずくまった。
反対に、男が剣を支えにして立ち上がった。左手で傷を抑えながら、ゆっくりとレフィルに近づく。
レフィルはうなだれたまま、顔を上げようとしなかった。
「ははは……観念しろ!」
男は、笑いながら、支えにしていた剣を構えた。
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