第5話 奴隷剣闘士


 しかしその時、レフィルがにわかに手を離して、叫んだ。
  誰っ!」
 獣のような速さで弓をとる。
「!?」
 矢の向けられた木陰をみて、テールが息を呑んだ。そこには、今にも襲い掛からんと潜んでいる人間たちがいた。
 テールは剣を抜いた。同時に、レフィルが再び叫ぶ。
「武器を置いて出てきて! 来ないなら  !」
 そして矢を引き絞り、放った。
 途端に木陰で男のうめき声と、倒れる音がした。すかさず二本目の矢をつがえる。
 ところが!
「おっとぉ、動くなあ」
「テール!」
 背後から忍び寄ってきた男に、テールが捕らえられた。大柄な男は、太い腕でテールの首をおさえつけ、そこに幅広の刃を突きつけている。

「レフィル! 彼らはただの賊だわ! 構わず逃げて  うっ」
「だまれ!」
 テールの首がきつく締め上げられる。
「くっ」
 捕らわれたテールを前にしながら、背後の木陰からも賊が出てくる気配を感じた。  囲まれている。
 少女は、怒りをあらわに、吠えた。
「卑怯者! あんたたちの望みは何?」
 すると男たちは、嘲るように大声で笑った。
「答えて欲しいのか?   お前ら二人とも、だ!」
「レフィル!」
 一斉に男たちが突進してくる。レフィルはそのわずかな隙間からとびのき、走った。低い枝の上に飛び上がり、テールを捕らえた男に素早く狙いを定める。
「おっと  うわっ」
 男は矢は避けたが、その一瞬の隙をついてテールが男を蹴り上げ、腕を振りほどく。
 そしてすかさず愛用の細剣に手を伸ばした。
「おのれぇ!」
 男は起き上がると、大剣を振り回して迫ってくる。だがテールは素早くそれらをかわしながら、間合いをはかった。
「ハッ!」
 鋭く的確な切っ先が、男の腕を薙ぐ。
  くそっ!」
 男の勢いが鈍った。そのままテールがじわじわと追い詰めていった、その時!

「おい! 今度はお前が止まる番だぜ!」
 後ろから別の男の怒鳴り声がして、テールは体を硬直させた。
「レフィル!!」
 振り向くと、ぐったりとしたレフィルの体を、男が担ぎ上げていた。
「なぁに、死んじゃいねえよ。まったくしぶとい女どもだぜ」
「さあ、剣をよこしな。この猿とお前  ご令嬢だか女騎士だか知らんが、お前らは高く売れそうだ」
 テールは剣を納めながら、きつく男たちをにらんだ。
「安心しな。お前らはよくやったんで、闘技場に決めたぜ。
   ま、もっとも、負けちまったら意味ないがなあ」
 男たちが野卑な笑い声を上げた。
 テールは後ろ手に縛り上げられ、レフィルと同じように担ぎ上げられた。

  *

「……う」
 レフィルは目を覚ましたとき、頭がひどく痛むのと、手首と足首がこわばってしまっているのに気がついた。
 固くて揺れる場所に不自然な格好で座っていたため、体の節々が痛い。それに、目を開けたはずなのにあたりは真っ暗で、何も見えなかった。
「レフィル? だいじょうぶ?」
 声のする先に目を凝らすと、ようやくテールの顔が見えた。
「テール……ここは?」
 問いながら、レフィルは床が揺れるのに合わせて、車輪の軋む音と、蹄の音が響いていることに気づいた。そして、テールが声をひそめて言った。
「これは、奴隷馬車のようね」
 暗闇に目が慣れてくると、テールはあちこち泥まみれになって、手首と足首をそれぞれ固く縄で縛られているのが見えた。
「テール、大丈夫!?」
「ええ。わたしは大丈夫よ。それよりレフィルの方が」
「ううんあたしは  あっ」
 その時ようやく、レフィルは自分もテールと同じような有様であることに気づいた。むしろ手足は、テールよりもひどく汚れており、あちこちに擦り傷がついて、血が滲んでいた。
 そして、自分の隣にもテールの隣にも、同じように拘束された人々がいることにも気づいた。同じ年頃の少女たちに、子どもや、老人たちもいる。
 少女や子どもたちは声も出せずに泣いており、老人はうなだれて動かなかった。
「……どうしてこんな!」
 すると格子の向こうから男の怒鳴り声が飛んできた。
「うるせぇぞ!」
 丸い瞳を吊り上げ、叫び出しそうなレフィルを、テールは慌てて止めた。
「レフィル、今はおとなしくしていたほうがいいわ」
「う……わかった」 
 暗闇の中で、馬車は果てしなく走り続けていくように感じられた。
 
 やがて  
「おらぁ、降りろ!」
 荒々しく馬車の扉が開けられた。
 捕まった奴隷たちはみな、ずっと固いところに座らされていたために、足がしびれてうまく歩けない。
「早く歩け!!   おっと、お前らはこっちへこい」
 レフィルは腕を乱暴に掴んで引っ張られた。
「痛い! 何すんのよ」
「うるせぇ! その威勢のよさは、試合まで取っておくんだな!」
 震える女たちの中から、レフィルとテールだけが引きずられていく。

 二人が連れて行かれた先は、泥を固めて作られたような、大きいが殺伐とした建物だった。その建物の陰を通り、正面ではないらしい入り口へと回る。その間、さびた鉄のような異様な匂いがまとわりつくように匂った。壁の向こうからは、大勢の怒鳴るような声が断続的に聞こえてくる。
 やがて、男が歪んだ木の扉を開けると、その匂いはむせかえるように濃くなり、二人を圧倒した。
(これは……)
 そして、二人の目に飛び込んできたのは、薄暗い室内の土を踏み固めた床に立った、血だらけの男だった。
 血に濡れて顔に張り付いた黒髪の間から、鋭い目が覗き、二人を戦慄させた。
 それは見るもの全てを震えあがらせるような目であったが、血に飢えた獣のそれとは違った。そこには確かに意志の炎が宿っている。だが、それは紛れもなく、行く手をふさぐものを全てを屠ろうとする、暗い殺意であった。
 その時、彼に向かって駆け寄る少女の姿があった。
「シーザ!」
 男の体は隈なく血に汚れていたが、少女は自分が汚れるのも構わずに、その体にとりすがるようにして、肩から胸にかけて大きく走った切り傷をみつけた。
「ああ……お願い、もうやめて」
 少女はその傷に手をかざし、涙の溢れる瞳を閉じた。

「―あれは」

 少女の手のひらから、あたたかな光がこぼれ始めた。

「おい、よそ見してんじゃねぇ!」
 立ち止まっていたテールの腕を、男が思い切り引いた。
「テール!」
 半ば引きずられるようにして、二人は奥へ連れて行かれる。

「ああ……あのような少女たちまで」
 男の傷を癒やした少女は、小さく祈りの印をきった。
「なにをやってる、さっさと治したら、行くぞ!」
「……はい」
 やや身なりの良い初老の男が現れ、少女の腕を乱暴に引いた。
 そして少女が心配そうに見つめる男を見て、言った。
「シーザ、死ぬなよ。わしはお前にずっと賭けているのだからな。
   おお、そんな殺気のこもった目でわしを見るな。わしを傷つけたら、この女の命はないぞ。無論、お前もだ。お前たちの代わりなどいくらでもいるということを忘れるな」
 男は唇をかみしめ、瞳の中に怒りが爆発しそうに光った。が、すぐに踵を返し、去った。
 初老の男は、ひどく安堵し、震えを隠すように笑った。
「は…はははは。奴隷剣闘士の分際で。行くぞ。お前もまた生きてあいつに会いたいのだったら、せいぜい従順でいることだな」
 少女は、そんな言葉など聞こえぬかのように、いつまでも男の去った方を見つめていた。

 血の匂い、怒号、悲鳴  
 それらの中を通り抜け、二人が連れて行かれた先は、薄暗い、鉄格子の中だった。
「お前らの試合は、明日だ。
 まあ死なないように、今のうちに体を休めとくんだな」
 そう言って粗末な袋と水筒を投げ込むと、男は去っていった。 
 男の足音が遠ざかって聞こえなくなると、テールは袋と水筒に近づいた。そして中身を確かめると、レフィルに差し出す。
「レフィル、パンと水だわ。大丈夫よ」
「……テールにあげるよ」
「だめよ。少しでも体力をつけておかないと」
「でも、あたしたち捕まっちゃったんだよ!」
 叫ぶレフィルの声に、力はなかった。しかし、テールは微笑んでレフィルの手をとった。
  大丈夫、きっと逃げ出すチャンスはあるわ。あきらめてはだめ。わたしが必ずレフィルを守るって言ったでしょう」
 泥で汚れたテールの笑顔を見て、レフィルの胸は痛んだ。
「……ごめん、そうだよね、ごめんね。わかった!」
 つられてどうにか微笑むと、テールの差し出すパンを受け取った。 
 


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