第16話 救国者とは


 傷ついた少女に、とどめの刃を振り下ろそうとした、その時  
 突然扉が開き、男は、握った剣もろとも弾き飛ばされた。
「アイオン  貴様!」
 まさに振り下ろされんとした刃を、払い飛ばしたのは、シーザだった。
 ようやく見つけ出した憎き敵を、冷たい怒りの燃えた目で、射抜くように見る。
「レフィル!」
 その背後で、テールが悲痛な声を上げた。
  

「どんなにこの時を待っていたか!」
 シーザは、切っ先をまっすぐにアイオンへ向け、一歩、二歩、と近づいた。
「うあ……あ……お前は  
 言い終わる前に、アイオンの喉は貫かれた。
 氷のような目でそれを見つめたまま、剣闘士は、刃を引いた。驚愕の表情を貼り付けたアイオンの首が、床に転がり落ちる。鮮血がほとばしり、彼の半身を染めた。

 これが、彼らの悲願  ガヴェニア解放の瞬間であった。

   *

 やがて、血に濡れたガヴェニアの城を、黄金色の朝日が照らし出した。

 傷つき、返り血にまみれた戦士たちは、互いに抱き合って勝利の喜びを噛み締める。

 それは、長きにわたって虐げられてきた苦しみの終わり。新しき自由の日々の始まり  

 誰もがそう思って、歓喜の叫びを上げ、あるいは涙を流していた。
 
   *

 その日、戦いのあとを清めた城では、ささやかではあるが、宴が催された。集まったのはかつての奴隷であり、今日、自由を取り戻した人々である。彼らの顔はみな、溢れんばかりの喜びに輝いていた。

 ようやく日が傾きかけた頃になると、戦いに参加した戦士たちは、疲れ果て、あるいは酔いつぶれて、眠ってしまった。砦や町から来た人々も、暗くならぬうちに、家のあるものは家へ帰り、奴隷であったものは主のいなくなった家などに身を寄せ合って、ひとまずは落ち着いた。
 圧制に加担していたものたちや奴隷商人たちは、戦いで殺されたか、あるいは生き残っていても、牢の中に押し込められた。シーザは、騎士たちの助けも借りて、略奪や新たな争いが起こらぬよう警戒したが、日が沈んで暗くなる頃には、すっかり、平和な静けさがガヴェニアの城下を包み込んだ。

   *

 だが、今夜もまた眠ることのできぬ者たちがいた。

 そのうちの一人、ディムカは、ともかくは城に呼び寄せた子どもたちのために、柔らかいベッドがある大きな部屋をみつけてやった。それから一人ひとり抱きしめたり、頭をなでて寝かしつけてから、一目散に駆け出した。
 彼がやってきたのは、城の一番奥にある小部屋だった。 
 だが彼は中に入ろうとはせず、部屋の前を行ったり来たりしながら、中の様子に聞き耳をたてていた。中は静かで、人の声も、わずかな物音さえもしなかった。それでも彼は、扉の前を早足でうろつき続けた。
 やがて、背後から  部屋の中からではなく廊下の向こうから  彼と同じように焦って駆けて来る足音が聞こえてきた。
 彼はあわてて窓辺に寄りかかり、月夜の風景に目を泳がせた。
「君は……」
 足音の主は、彼に気づいて止まった。
 ディムカは窓に肘を乗せたまま、半分だけ振り返った。
 夜明けからずっと、戦いの後処理に奔走していた、騎士団のリーダーだった。目元にはやや疲れが見えるものの、その琥珀色の瞳は澄んでおり、彼を真っ直ぐに見た。
「心配なら、中に入るといいのに」
 ディムカは慌てて、視線を窓の外に戻した。
「そんなんじゃねえよ。ここが一番静かだからさ、月を見ながら感慨に浸ってるんだ。邪魔しないでくれよ」
  そうか、悪かった」
 そう言うと騎士は、濃紺のマントを翻して、扉の中へ入っていった。
 やがて、中から騎士と、女の話す声が聞こえてきた。

「ちっ」
 悔しげに舌打ちして、彼が窓辺から離れたとき、扉が開いた。
「ディムカ?」
 出てきたのは、さきほどの騎士ではなく、中にいた女の方だった。
 彼女も目元に疲れを滲ませて、さらに彼女の瞳は、涙に濡れて赤かった。
 それに気づくと、ディムカは狼狽した。
「まさか  悪いのかっ?」
 だが、彼女はにっこりと微笑んで首を振った。
「さっきクラウも来てくれたし、治療はすんだわ。でもずいぶん血を失ったし、まだしばらくは眠っていると思うけど」
「そうか」
 ディムカは大きく肩で息をついて、ふらふらと壁に寄りかかった。
 それを見てくすくすと笑いながら、テールは言った。
「そんなに心配なら、そばについていてあげたらいいのに」
 ディムカは慌てて身を起こした。
「!   なんだよあんたまで! 俺はただ戦いのときあいつのおかげで助かったから、俺にも何かできることないかと思って来てみただけだよ!」
「それならなおさらよ。そばにいて、早く目が覚めるようにって、祈っていてあげて。今彼女のためにできるのは、それだけよ。そしてそれが一番、効果があると思うわ」
 テールは優しく諭すように言った。が、ディムカはわざと苦々しげな表情を作りぶつぶつと言う。
「で、でも今ヤツが入っていったから……その、二人きりにしてやったほうがいいかって……それであんたも出てきたんだろ?
  なぁ、あんたらずいぶんあいつのこと大事にしてるよな。特にヤツなんか……」
 顔を赤くして口ごもるディムカを、テールは不思議そうに見つめて、まばたきをした。
 そして次の瞬間、さも可笑しくてたまらないというように、笑い出した。
「なんだよ! 笑うなよ!」
「違うのよ、ディムカ」
「何が違うんだ!」
「わたしたちは、レフィルと彼女とわたしは、親友なの」
  は?」
「アルディは、女よ」
 その瞬間、ディムカの顔はみるみる羞恥の色に染まって、そして、彼は再び廊下を一目散に走り出した。
「ふふ、面白い。  でもアルディ、話したらきっと気を悪くするわね」
 テールはしばらく必死に笑い声を押し殺した。彼女の目には、再び涙さえ滲んできた。だが、今度のは笑いによる涙だった。
 彼女は、微笑んだままそっと窓辺に寄った。そして青白く穏やかな月を見上げると、そっと祈りを捧げたのであった。

  *

 一方  
 同じく月の下、テールのいる窓辺とちょうど正反対の左翼側にも、眠ることのできない男がいた。
 彼が見つめているのは、月ではなく、その下に黒々と広がる森の、闇だった。
 彼は暗闇に問いかけるかのように、じっと考えを巡らせていた。

 そこへ穏やかな夜風が吹き、彼の背に流れる黒髪を揺らした。
 ふと、彼は振り返った。
  シーザ。ここにいたのね」
 部屋の中から現れたのは、聖女、クラウだった。
「もうけが人はいいのか」
「ええ。彼女も、もう大丈夫よ。あとは目が覚めるのを待つだけ」
「そうか。では、お前ももう休め」
 シーザの言うとおり、彼女の表情には、体力的にも精神的にも疲弊している様子が明らかだった。
 だが、それを隠すかのように、そっと目を伏せ、彼女は首を振った。
「あなたこそ。……シーザ、あなたは知っていたかしら  
 彼女は、そっとシーザの横に立ち、語り始めた。
「私たちの癒しの魔道は、決して傷を元の状態に戻す魔法ではないわ。失われた血や抉られた肉は、決して魔道の力で元に戻すことはできない。
 傷が治るのは、すべて生きるものが本来持っている自然の力がゆえ。私たちの呼ぶ光は、その力の発動を促しているに過ぎない」
  何が言いたい」
 クラウの瞳が、深い悲しみに揺らいだ。だが彼女は勇気を振り絞って、まっすぐにシーザを見つめて言った。
「私は、この戦いも同じなのだと感じたわ」
「……」
「シーザ。今のあなたの気持ちを聞かせて」
 シーザは闇を見つめながら、答える。
「……お前の言うことは、正しいと思う」
「それなら  
 そこでシーザは、クラウの目の前に手のひらを掲げて、遮った。
 彼の手の甲には、そして手のひらにも、新しい、あるいは古い傷跡が無数に刻まれている。
 シーザは、晴れぬ怒りと悲しみを滲ませて言った。
「この手でどれだけの命を奪ったか、お前は見てきたはずだ」
「でも!」
「俺には光など呼ぶことはできない。俺に出来るのは、自らの手を血で汚すことだけだ」
 そこでシーザは身を翻し、暗闇を背追って、去った。

  シーザ、あなたは……」
 残されたクラウは、去ってゆく剣闘士の背中に向かって、小さく祈りの印を切った。


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