第15話 僭王アイオン


 地下道は、闇に包まれていた。だが、夜目の利くレフィルには、入ってきたところから漏れてくる明かりで十分であった。
 道は上と同じく、真っ直ぐに続いていた。足音を消しつつも、全力で走る。前方に人の気配は感じられなかった。
 やがて、一枚の扉が見えた。息を殺して近づき、耳をつけてみるが、この向こうにも人の気配はしない。そっと開こうとする。だが、鍵がかかっていた。
 レフィルは、背中から矢筒を下ろすと、一番細い矢を選び取った。それを鍵穴に差し込む。昔一度だけ翁がやっていた方法の、見よう見まねであった。

 少し時間がかかったが、鍵は音を立てて開いた。そっと扉を押すと、上に登る階段があった。上ってゆくと、天井に切り込みがあり、どうやら入ってきたところと同じように、どこかの床に出られそうだ。
 レフィルは、力任せに天井を押し上げた。その隙間に腕を入れて這い上がると、そこもまた城内の回廊だった。
 しばらく行くと、十字路だった。レフィルは目を凝らして、周囲を見回した。すると左手のかなたに、数人の人影が見えた。
(あれだ  !)
 足音に注意して少し走ってから、立て続けに二本の矢を放った。

「うわあっっ」
「しまった! 追いつかれた!」

 矢が当たった二人は見事に二人とも倒れたが、もう三人、残っていた。すぐにもう二本矢を放つ。一本は一人に命中したが、もう一本は扉に突き刺さった。彼らは回廊の突き当たりにある扉の向こうに逃げたのだった。

 レフィルは扉に走り、耳をつけた。
 そこはどうやら部屋であるらしかった。何か、狼狽して祈りを呟くような女性の声が聞こえた。殺気は感じられなかった。
  一刻も早く、終わらせるんだ)
 
 レフィルは、すぐに放てるよう、片手に弓矢を持ちながら、扉に手をかけた。
 そして、勢いよく扉を開いた。
 扉が開ききる前に、素早く弓矢を構えると  

 ごく小さな部屋の奥に、一人の男が立っていた。半ば髭に覆われた顔は蒼白で、脂汗にまみれていた。たっぷりと肥えた体に鎖かたびらをまとい、右手には剣をさげていたが、その腕は震えていた。
 その斜め後ろ、柱の影に隠れるようにしてしゃがみこんでいるのは、女だった。彼女もしきりに震えて、ぶつぶつと何か呟いていた。

 レフィルは矢を男に向けたまま、問うた。
「お前がアイオンか!」
 男は答えなかった。小刻みに震えたまま、じっと動かない。
 レフィルは弓を引き絞って、叫んだ。
「答えろ!」

 すると、カラン、と剣を取り落とし、男はひざまずいた。
  許して、くれ!」
 男は、絞り出すような声で叫び、うなだれた。レフィルは狼狽した。やがて女がすすり泣き始めた。
 そして、男は、顔をあげてレフィルの方を見た。
「わしが悪かった! もう奴隷制など廃止しよう! わしが悪かった! 降伏だ! 城もすべてお前たちに明け渡す! どんな代償も払おう  そ、そうだ、償いをさせてくれ! お前たちの要求は何でも聞く。だからリーダーに会わせてくれ!」

 弓を引き絞ったままの手が、大きく震えた。
 その時、思い浮かんだのは、ディムカと子どもたちの笑顔だった。それから、傷ついた人々の手当てをするクラウとテールの姿。そして剣を掲げるシーザに、怒りに燃える剣闘士たちと、屍と血で溢れる城内の光景。

 心臓が、大きく脈打ち始めた。
 同時に腹の底から、何かが上ってくる。それは、人の声だった。たちまち、頭の中いっぱいになって、響き渡った。

(殺せ!)

 脚が小刻みに震え始める。

(殺せ! 殺せ!)

 その声は、闘技場で聞いたものと同じであった。
 やがて、レフィルの手は、許しを請う男の喉元に狙いを定め、止まった。

(殺せ! 殺せ!)

 その手が、矢を放した。
 
 そして  
 矢も、弓も、レフィルの足元に落ちた。

 レフィルは、詰めていた息を、大きく吐いた。脚の震えは収まっていた。
 一方男は激しく震えたまま、レフィルをじっと見つめていた。
 
 レフィルは力なく笑って、言った。
「わかったよ。シーザを呼んでくる  
 男は、安堵して頭を垂れた。
 レフィルは、踵を返して、扉に手をかけた。

 その時!
「馬鹿が  !」

 レフィルは、背中に焼け付くような痛みを感じた。そして次の瞬間には、扉に寄りかかるようにして、崩れ落ちた。背中にずきずきと鼓動が響き、胸の下に生温かいものが広がってゆくのを感じた。

「甘いんだよ  奴隷ごときに殺されてたまるか! 私がガヴェニアの王なのだ! 王に逆らうものは皆殺しだ!」
 倒れた少女の背中に突き刺ささる小刀を見て、男は高らかに笑った。
 そしてゆらりと立ち上がると、落ちていた剣を拾い上げ、一歩ずつ、少女に近づいていった。
「安心しろ、すぐに楽にしてやるぞ!」
 レフィルは、どうにか立ち上がろうと、体に力をこめた。が、体は熱と痛みを発するばかりで、指の先くらいしか動かすことができなかった。

(ああ、ディムカ  みんな……ごめんね)
「ガヴェニアに、自由を……」

 少女の呟きは、剣を振り上げる男の耳には届かなかった。


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