第12話 出撃
そして、皆が集められ、シーザによって作戦が話された。
出撃は、月が傾くのを待ってからということで、それまで仮眠をとるもの、武器や装備の手入れるものなど、それぞれに心を落ち着けようと努めながら、その時を待った。
レフィルとテールも、壁際に下がって、弓や剣の手入れをしていた。
借り集めてきた矢の矢尻を器用に研ぎながら、レフィルが言った。
「ねぇ、テール。テールはどうして、癒しの魔道と剣と、両方使う騎士になったの?」
「わたしのお父さまは騎士で、レイピアの名手だったの。そしてお母さまはお城づきの僧侶だった。わたしは二人ともを尊敬していたから、騎士団の癒し手になりたいと思ったのよ」
「へぇ すごい、すごいねテール」
「そんなことないのよ。レイピアも、癒しの魔道もまだまだ二人の足元にも及ばないわ。
レフィルのご両親はどんな方々なの?」
「あたしはじいちゃんと暮らしてたんだ。お父さんもお母さんも知らない……」
「 そうだったの。ごめんなさい」
申し訳なさそうに言うテールに、レフィルは微笑んで首を振った。
「でも、じいちゃんが何でも教えてくれたんだ。料理とか、薬草とか、狩もね」
「レフィルの弓は、おじいさまの弓なのね」
「うん。じいちゃんは本当に狩が得意だった。狙ったら絶対に外さない。
だから狩のときは最小限の矢しか持って行かなかった。それで、倒した獲物には必ず祈りをささげてた。あたしにもいつも言ってたな。
『この世に無意味な命なぞひとつとてない。どんなに強いものにも、弱いものの命を無益に奪う権利はないんだ』って」
語りながら、レフィルは翁の厳しい顔を思い出した。彼女を見つめるその顔には、わずかに悲しみと哀れみの影があった。
『いいかレフィル。都の人間などと関わってはいかん。彼らは己の欲望をとどめることを知らず、それを満たすために、平気で他者から命でさえ奪うのだ』
確かに、レフィルは翁の言う通りの蛮行を目の前で見た。
そしてこれから、自ら戦いの渦中に飛び込もうとしている 。
じっと考え込んでしまったレフィルの顔を覗き込み、テールは言った。
「レフィル? ごめんなさい。わたし 」
「ううん。テール、あたしは大丈夫」
レフィルは、翁の影を打ち払うかのように首を振り、夜の闇に向かって朗らかな声を出した。
「あたしは、戦うって決めたから」
「レフィル……」
その笑顔の屈託のなさに、テールは心が絞られるような思いがした。
*
やがて月は傾き、うっすらと妖しげに空を覆う雲の中に紛れ込んだ。
光る刃をしっかりと鞘に納め、砂埃にまみれた軽装備に身を包んで、戦士たちがひっそりと、砦から姿を現わし始める。
燃え上がる怒りの炎を心に隠して、戦士たちは影のように進んだ。
やがて、闇夜の奥に、かがり火が赤々と点されている、ガヴェニアの城が見えてきた。
「 いかにもと言わんばかりに警戒してやがるなあ!」
低く口笛を吹いて感嘆するディムカを、シーザがにらんだ。
「お前が気づかれたら終わりなのだからな」
「わかってるよ、任せときな! じゃあ、行くぜ!」
シーザが頷くと、ディムカと五人の戦士たちが隊列を抜け、雲の陰となった草地の方へと消えていった。
それを見送ってから、シーザは城の方に向き直った。再び、隊列はひっそりと歩き出した。
シーザを含む先頭の数十名は、馬を連れていた。その中にはテールもいる。レフィルは手綱は握ってはいなかったが、テールの後ろにぴたりとついて歩いていた。
そして全ての馬は嘶かぬよう布を噛まされ、蹄にも厚く布が巻かれていた。奴隷戦士たちの行軍は、夜の静けさに溶け込むように、ひそやかに進んでいく。
やがて、城壁の石の一つひとつがはっきりと見てとれる距離までに近づくと 、
シーザは立ち止まり、戦士たちの方へ向き直った。
戦士たちは、暗闇を吸い込んだような、彼の黒い瞳を見つめた。
(いよいよか)
固唾をのんで沈黙を守る中、それぞれの鼓動の音が、闇夜にこだまするかのように高まっていく 。
そして彼らは、剣闘士の長の瞳が、燃え上がるのを見た。
シーザは、背中の剣を抜き放って、高々と掲げた。
「いざ、我らの自由のために !」
意志と力に満ちた声が、響き渡った。
戦士たちも一斉に剣を抜いた。
その瞬間、雲の隙間から零れ落ちたおぼろな月の光が、刃に降り、まるで啓示のように一閃した。
そして雷鳴のように、戦士たちは唱和する。
「いざ、我らの自由のために!」
馬は一斉に布を取り除かれ、猛る戦士たちを乗せて、いなないた。いち早く飛び出したシーザを追い越さんばかりの勢いで駆けていく。その後ろに、武器とたいまつを振り上げて、歩兵たちが続く。
重苦しい闇夜に、たちまち怒号と、蹄の音と、土煙とが立ち上った。
王城の兵士たちは、突如現れた奴隷の軍勢に、慌てて城門から出て、迎撃網を配備する。
「弓隊、撃て !」
その後ろより、焦ったような号令とともに、雨のように矢が放たれる。
するとシーザもまた、素早く叫んだ。
「止まれ !」
その合図で、仲間たちは訓練された騎士団のようにぴたりと止まった。その瞬間、彼らの数歩前の土の上に、無数の矢が突き立てられる。その柵を飛び越え、騎兵たちは再び疾駆する。その後ろからも、声を上げながら、一斉に歩兵が走り出す。
彼らの足は、草のない乾いた土を踏み荒らした。闇夜に立ち上る土煙は、まるで空から雲が降りてきたようであった。その中でかがり火と刃が瞬く。 彼らは、荒地を風の流れに乗って、わざと土埃をたてながら駆けてきたのだった。
「もう一度構え !」
「この砂煙じゃ、味方に当ててしまいます! ひっ、隊長!」
弓兵の一人が叫んだ時には、すでに彼の上官の喉には矢が生えていた。
そして彼らのもとに、土煙の中を疾風のように駆け抜けて、騎兵たちが現れた。
「 早すぎる!」
先頭を切って切り込んできた一騎が、次々に兵を切り伏せていく。
「うわぁぁぁ!」
ひるむ兵士たちの前で、彼は馬上からひらりと飛び降りた。
その血に塗れた刃と、黒髪の下の鋭い瞳とが、かがり火に赤く照らし出された。
「奴は 」
「剣闘士シーザ……」
「シーザか!」
兵士たちの口から、まるで死神の名のように、無敵の奴隷剣闘士の名が呟かれる。
「くそっ、まず奴をねらえ ウッ」
すかさず彼を討とうとした弓兵が、喉を射抜かれて倒れた。
「ぎゃあっ」
続けて、弓兵たちが次々に射られてゆく。
そのうちに馬を下りた剣闘士たちが殺到し、全ての弓兵を切り倒していった。
それを確かめて、レフィルは叫んだ。
「ありがとテール、もう降りるね!」
弓を握り締めた少女は、テールが馬を止める前に、ひらりと飛び降りる。
「レフィル! 待って!」
テールは慌てて馬首をめぐらせ、叫んだ。
「わたしのそばにいて、離れてはだめ! 約束よ!」
「わかった」
レフィルは緊張した面持ちで頷いた。
それを見て、テールは問う。
「本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。 行こう!」
レフィルは力強く頷き、走り出した。
「レフィル!」
その後を、テールは慌てて追った。その間に、レフィルは再び弓をつがえて、次の兵士を射る。
これですでに、十人以上の兵士を射抜いたことになる。
( いざ、自由のために!)
レフィルは何かを振り切るように、背中の矢筒から、次の矢を取り出した。