第10話 ガヴェニアの少年
レフィルたちが下りていくと、先ほど皆が集まっていた入り口のところで、食事を配っていた。
ディムカは隅の方の荷箱が重ねてあるところにレフィルを座らせると、配っていた堅焼きのパンと、スープの椀をもらってきて、手渡した。
「ほら、腹減ってんだろ」
「……ありがとう」
レフィルは、最初はなんとなく気が引けて遠慮していたが、スープをひとくち飲んだとたん、忘れていた空腹が蘇って、夢中で食べ始めた。
それはディムカも同じだったらしく、しばし二人は無言で食事をした。
「ふーっ、やっと一息だな」
食べ終えると、ディムカが満足げに言った。
レフィルはつられて微笑み、それから、少しためらいながら言った。
「あ、あのさ」
「ん?」
「あの、お礼、言ってなかったから……助けてくれて、ありがとう」
すると、ディムカは朗らかに笑って、言った。
「はは、いいんだよ。
俺さ。ほっとけないんだ、子どもが困ってんの」
すると、レフィルは真っ赤になって立ち上がった。
「あたし子どもじゃないんだけど! もう十六だよ!」
「なんだ、やっぱり子どもじゃねえか」
ディムカはさらに大笑いをする。
するとそこへ、幼い女の子と男の子が駆け寄ってきた。
「ディムカー」
「おお、おまえら、ちゃんと食ったか」
「うん! みんなで食べたよー」
「うん! リナ姉ちゃんたち、クラウのお手伝いに行ったよー」
「そっかそっか。じゃあその間、お前たちはここでいい子にしてるんだぞ」
「うん!」
ディムカに頭をなでられ、男の子は満面の笑みだ。
すると、女の子がレフィルの隣に駆け寄ってきた。レフィルの顔をじっとみつめる。レフィルはにっこりと笑いかけた。すると少女は、レフィルの髪に手を伸ばした。
「おねえちゃん、髪の毛くるくる、かわいいねー」
「えっ、あ、ありがとう」
レフィルの髪は、闘技場で切られたまま、無造作に背に流れていた。女の子はそれをなでながら、レフィルの背後に立った。
「ミーナが編んであげるー」
「えっ、できるの?」
「うん、できるんだよー。リナ姉ちゃんが教えてくれたのー」
すると、小さな手は器用にもレフィルの髪を編み始めた。
ディムカは男の子と一緒に、興味深そうにそれを覗き込む。
「へー。すげーなあー」
「えへへ、すごいでしょー。
……ほらー! できたよー」
どうやら編み上げたようだが、後ろなのでレフィルは見ることが出来ない。
しかも、縛るものがないので、ミーナは編み終わりを手で握ったまま、動くことが出来ないようだった。それに気づき、ディムカが大げさに慌てた。
「おおっと、なにか縛るもの縛るもの……」
辺りを見回したものの、何もない。やがて思いついたように、自分の頭に巻いていた布を外し、細くちぎった。
「えっ、ちょっと、いいの?」
レフィルは慌てるが、ディムカは飄々として、ミーナに言う。
「今結ぶからなー、離すなよー」
「うん!」
「 よしっ、できたぞ!」
「うわーい、できたぞー」
「できたぞー」
「リナ姉ちゃんに言いにいこー」
子どもたちは手を取り合い、嬉しそうにはしゃぎながらまた駆けていった。
レフィルは慌てて叫ぶ。
「あ、ありがとねー!」
「おーい、リナの邪魔すんなよー」
ディムカはにこにこと笑いながら、手を振って子どもたちを見送った。
それからまたレフィルの横に腰を下ろした。
レフィルは編んでもらった髪に手をやりながら、満足げに笑った。
「かわいいね。いいなーあんなきょうだいがいて」
「だろ? 俺に似てかわいいし素直だしいい子なんだぜー」
ディムカは嬉しそうに言った。
が、すぐに少し真面目な顔になって、天井を見上げた。
「ほんとのきょうだいじゃないんだけどな」
「え?」
「そんでさ、俺、あいつらに泥棒させてんだぜ」
レフィルは凍りついた表情で、ディムカの横顔を見つめた。
すると、ディムカはレフィルの方を向いて、笑った。それは今までの明るいおどけた笑い方とは、ずいぶん違っていて、ひどく大人びて、まるで別人のようだった。
それからまた天井を見ながら、話し始めた。
「あいつらさー、みんな親が奴隷にされて行方不明になったり、死んじまったんだよ。それを俺が拾って、みんなで集まって隠れて住んでたんだ。
最初は俺が盗んだ金とか食べ物で何とかやってたんだけどさ。あれだけ増えると、とても足りなくて、大きくなったやつらが手伝うとか言い出してさ。俺は嫌だったんだけど、また道で泣いてるミーナたちみつけてさ、そしたらほっとけないだろ?
連れて帰って、でも家にはもう何もなくて、その日初めて、上の連中と……って言っても九歳やそこらだぜ それでも一緒に、でかい盗みをやったさ。
あんときは、死ぬ気で逃げたね。あいつらを先に逃がすために俺が囮になって、でも絶対に捕まるわけにはいかなかったからな。捕まれば、せっかく助けたあいつらがみんな死んじまう。
でも盗んでも、盗んでも足りなくて、国はますますひどくなってくし、とうとうあんな小さな子どもたちも盗人にさせちまった」
「そんな……ひどい!」
「だろー、こんなひどい大人ばっかりなんだぜ、この国は。お前も運が悪かったなー。
っておいおい、泣くなよ!」
レフィルは下を向き、ぽたぽたと涙をこぼしていた。ディムカはそれを見て、慌ててまたおどけた調子でまくしたてた。
「大丈夫だよ、ここにいれば安全だからな、な?
何しろシーザたちがいるんだし、あんな腑抜けの兵隊どもには負けないさ。やつらも今日はここまで来ねぇよ、今頃はてめぇらの財産かきあつめんのに必死だろうからなー」
するとレフィルは顔を上げ、叫んだ。
「知らなかった!」
「へ……?」
レフィルの潤んだ瞳と、しっかり目を合わせてしまい、ディムカは目を逸らせなくなった。レフィルの瞳からすっと、涙が零れ落ちた。するとディムカの顔から、おどけた表情が消え去った。
「あたし、王都に行って、アルディに会えて、テールにも親切にしてもらって、もうこれでさみしくないって、綺麗なところで暮らして……。
その前だって、じいちゃんと二人だけだったけど、じいちゃんはあたしをちゃんと守ってくれて、あたしを育ててくれて……、
それなのにあたしはじいちゃんの言いつけを破って、アルディのことも傷つけて !
でも、ディムカは、あの子たちは、何も悪いことしてないのに、そのずっとずっと前から、この国では、こんななんだね」
「ああ、そうなんだ」
ディムカは、レフィルの前に座りなおして、厳しい顔で言った。
「この国は、俺が生まれる前から奴隷制がある。俺の本当の弟や妹も、奴隷狩りにあって行方不明になったんだ。 俺は、こんな国、大嫌いだ」
それから、レフィルの顔に手を伸ばし、涙を指で拭った。そして少し笑って、再び明るい表情に戻って言った。
「でも、もうそれも明日で終わる。終えてみせる。シーザたちと誓ったんだ。俺たちの手で、自由を取り戻す」
レフィルは、ディムカの強い意志に満ちた瞳をじっと見つめていた。
すると涙は乾いた。悲しみの代わりに、新しい感情が、レフィルの中にも生まれていた。
やがてディムカは、急に顔を赤らめて目を逸らし、立ち上がった。
「そ、そういうことだから、お前たちはもう何も気に病む必要なんかないんだ。それにもともと、お前のせいなんかじゃないんだからな。
さてと。俺もリナたちの手伝いに行くかな! お前はもう少し休んでろよ!」
子どもたちの去った方に、慌てて駆けていく。
その後ろ姿を、レフィルは真っ直ぐに見つめていた。